高田徳利(たかたとっくり)
口径3.5p  高さ20p 江戸時代後期 (約190年前)
主に高田窯(たかたがま:現在の多治見市高田町)で大量に焼かれ、主に江戸(えど:現在の東京)に出荷(しゅっか)されました。表面に釘(くぎ)で屋号(やごう)などの名前や記号を刻(きざ)み入れ、お酒を買いに来る客に酒屋さんが貸し出し、買った分量の酒を中に入れて渡(わた)していました。そのため、同じ大きさに作り上げる技術(ぎじゅつ)が特に求められました。明治時代には黒色の釉薬で文字を書くようになりますが、大正時代末期から昭和時代初期にかけてガラスびんの使用が広まると、ほとんど使われなくなってしまいました。
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